どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

江戸幕府は、愛知県民が支えたという事実。【どうする家康】

江戸幕府時代、地方にはおよそ300藩があった。その藩主の出身地を調べると、三河が44%、尾張が12%、計56%。三河尾張、つまり今の愛知県である。

その昔、殿様は、領地を拝領すると、家臣を出身地から連れていった。素性のわからぬ者を取り立てるには、危険が伴うので当然だろう。下級武士は、拝領した現地で採用した。つまり上級武士は、今の愛知県を中心とした、現実主義的な吝嗇の東海地方出身者である割合が高かった。江戸時代の多くの武士は、歴史小説に出てくるような、「武士道」に生きるサムライではなかった。精神主義的な「花と散るような」美学とはまったく無縁な存在だった。現実の武士道は、現実主義と見つけたり。
幕末時代、血気盛んな、「薩長土肥」など西南雄藩に比べて、けちくさい幕府や譜代大名は、天下国家ということに消極的であり、結果、政権を失う。以来、薩長の明治政府になり、その流れは現代に続く。山口県出身の総理大臣の何と多いことよ。ひるがえって、我が愛知県は、ヘタレの海部俊樹、一人だけである。残念無念。

天下泰平の世をつくつた、家康は、久能山東照宮の墓の下で臍をかんでいるに違いない。「どうして、わしのように、天下国家のことを考えぬのだ!この大馬鹿者!」愛知県民としては、耳が痛い。