どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

自分あっての家臣ではなく、家臣があっての自分である。【どうする家康】

     


ご存知、家康公の危機は、3度あった。

壱「三河一向一揆
弐「三方原合戦」
参「伊賀越え」

三河一向一揆

この3つの中で、最大の危機は「三河一向一揆」と小生は思う。「三方原合戦」「伊賀越え」は、敵は、敵。「三河一向一揆」は、敵は、味方という、ややこしい構図。家康公の家臣団の中で、一向宗門徒の一部は、一揆側に参戦した。一向宗門徒の蜂起というだけでなく、家臣団の分裂を招いた。家臣団の信頼していた、家康のショックは大きかった。目には目を歯には歯を。家康は軍事的な勝利を収めた後、我々がよく知っている「たぬきおやじ」の顔をみせる。一向一揆側といったん和睦。一揆の発端となった「不入権」を認め、寺院の元のままにすることなど、一揆側の有利な条件のもと、起請文がを取り交わした。一揆側についた家臣には、改宗を迫った。だめだったら追放、一部は許した。
一揆は解決したかと思った矢先、家康は、敵対する武士たちが減ったことをいいことに、寺院側に他派や他宗教への改宗を迫る。あの起請文は?と、寺院側は反発。家康は「寺院は元のままにすること。つまり寺院がなかった原野の状態に戻す」とものすごい屁理屈をこねる。結果、一向宗の寺院は多くがまさしく「原野」になる。まさしく「古狸」である。

家臣の離反という苦い経験は、家康に、下の者の立場に立つ必要性を実感させる。そして、

自分あっての家臣ではなく、家臣があっての自分である。

・・・という教訓を得る。以後、家康は、この教訓を肝に銘じる。
織田信長のように家臣に殺されることなく、豊臣秀吉のように惨めな晩年を送ることもなく、江戸幕府をつくり天寿をまっとうする。「三河一向一揆」は、家康にとって、最大の危機であったが、天下泰平の世への礎でもあった。

さて、NHK大河ドラマ【どうする家康】では、!三河一向一揆」をいかに描くか? 2月26日オンエアの第8回「三河一揆でどうする!」を待て!