どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

宝塚記念とライスシャワー

今週末は、宝塚記念宝塚記念と言えば、【ライスシャワー】を思い出す。


阪神・淡路大震災は、半年後、一頭のステイヤーの命を奪う。
その年の宝塚記念は、震災の影響で阪神競馬場が使えず、京都競馬場で開催された。淀の舞台を得意とした【ライスシャワー】。京都競馬場ならと出走を決めた。2200メートルの距離は、ステイヤーとっては、短いが、引退後の種牡馬生活を考えると、中距離でも実績を残しておいた方が高く売れる。そんな人間の思惑の果ての出走であった。京都競馬場なら、【ライスシャワー】と、ファンの期待も大きかった。ファン投票第1位。
悲劇は、3コーナーで待っていた。転倒して競走中止。左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折、診療所まで運ぶことができず、その場に幔幕が張られた中で安楽死。そのまま帰らぬ馬となる。その後、京都競馬場には【ライスシャワー】記念碑が建立され、今も天皇賞菊花賞に出走する仲間を見守っている。「俺のようになるな」と。

宝塚記念に出走しなければ、無事種牡馬となり、ステイヤーの名馬を数々を生み出したであろう。馬名の由来は、結婚式のライスシャワーのように、人々に幸福が訪れるようにとの意味が込められてる。皮肉にも、その名前に反し、人間の浅はかな思惑に翻弄された、悲しき名馬である。

ライスシャワー
1992年の菊花賞、1993年・1995年の天皇賞(春)中央競馬の長距離GI競走に優勝。菊花賞ではミホノブルボンのクラシック三冠制覇を、1993年の天皇賞(春)ではメジロマックイーンの同競走三連覇をそれぞれレコードタイムで阻止したことから「関東の刺客」「黒い刺客」「レコードブレイカー」の異名を取った。

「男馬にしては体が小さい。それもあって大物感はなく、もちろんグレードレースでどうの、といったことは少しも考えなかった。ただ小さいけれど、いかにもバランスがいい体型なので、うまくいけば中堅クラスまではいくかな、と思いましたよ」飯塚調教師の言葉、なんだか切ない。無事な宝塚記念を。

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