遅ればせながらという感じで、映画【花束みたいな恋をした】を見た。
配偶者が3回も見たと言っていたので、なんだか気になってね。
花束みたいな恋をした
東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った 山音麦(菅田将暉)と 八谷絹(有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!──これはきっと、私たちの物語。公式HP
ネタバレだが、(1年も前の映画だからいいか)二人がジョナサンでの別れ際、かっての自分たちを彷彿させるカップルの姿を涙をこぼしながら眺めるシークエンスは、なんとも切ない。この映画の肝である。俺も、思わず、ウルウルした。元の二人に戻るのか?と一抹の期待をいだいたが、あっさり別れる。さすが、フジTV御用達の脚本家【坂元裕二】の手練手管。さすが、【向田邦子】受賞作家。
二人が同じ価値観を共有し、お互いを認めあう映画前半に比べ、映画後半でお互いの価値観が徐々にズレていくシチュエーションは、なんだか身につまされる想い。人生の機微である。まもなく法律上「高齢者」になる我が身にとっては、その感が強い。
現代版【神田川】と評した映画評論家がいたが、言い得て妙。「う~ん神田川か」思わず唸る。神田川と多摩川、川を眺めながら暮らすふたり。フォークソング「神田川」。学生運動が広まった時代の若者の挫折と、心情を憎らしいまでに救いあげたその本質は、「はな恋」とオーバーラップする。かつて批判していた社会構造に順応していってしまう自分への葛藤、そうしなけば生きていけない若者の姿が凝縮されている。若者がいだく共通の感覚、世界観である。時代は変われどと、言う事か。
ストリートビューの画面に、多摩川沿いを歩く二人のぼやけた姿を見つけるラストシーンは、なんとも鮮やかである。朝野ペコのイラストもイケてる。(この素敵なイラストが3カットで千円なんて、そりゃヤル気をなくすわな)
この映画を見るまで、渋谷パルコが閉店していることを知らなんだ。蛇足。
PS 俺は、ホワイトデニムをはく男だぜ!