どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

その御首級 恩賞5000石 ~池田紀伊守恒興

           

家康VS秀吉の直接対決「小牧・長久手の戦い」 我輩のあやふやな歴史認識では、なんとなく家康公が勝った戦と思っていた。しかし、あれは引き分けだろう。いやいや秀吉の勝ちでしょう。・・・となんだかよくわからないことになってきた。桶狭間、三方ヶ原、関ケ原の戦いのように、勝った負けたが明確な戦でない。それゆえ今までの大河ドラマでも、その扱いはぞんざいであった気がする。そのなんだかよくわからない戦いで討ち死にしたのが、池田恒興

この池田恒興も、なんだかよくわからない。清須会議織田家の宿老として、突然出て来た感じ。そして、すぐ「小牧・長久手の戦い」で戦死。
しかし、「どうする家康」の初見参!は、インパクトがあった。衣装を着けた、ピカピカの徳重恒興。おいおいおいおい、誰なの、この人?池田恒興?う~ん知らない。

我が琴線に触れた逸話。
後年、息子の池田輝政が「小牧・長久手の戦い」で父恒興の敵だった徳川家家臣「永井直勝」に会う。そこで輝政は父を討ち果たした恩賞が5000石だったこと知る。

えっ、たったの5000石・・・


輝政は落胆。尊敬していた父の首が5000石とは、俺は納得がいかんと、家康公に直勝の加増を直訴。その甲斐があり、1万石。
輝政にとっては、父の敵を憎むことより、父の名誉を貶めないことの方が重要だった。武士の鏡のようにピカピカである。それ故、父恒興も、ピカピカである。・・・という落しどころ。おそ松君。

さて、「小牧・長久手の戦い」 日陰の身だった存在を、表舞台に出す意気込みのまんまんの古沢良太。「小牧・長久手の戦い同盟」の関係自治体の鼻息も荒い。いざ、合戦!