どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

後輩【野沢 尚】を想う。

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脚本家【野沢 尚】は、高校の後輩だ。野沢は、1960年生まれ、俺は57年。だから同じ時期には、在学していないが、一度、野沢に会ったことがある。
二浪して、やっと早稲田大学第一文学部に入学した俺。夏休みに帰省していた折に、高校三年生の時の担任の先生から電話があった。「早稲田に行きたいという生徒がいるから、ちょっと話をしてやってくれ」という旨。面倒くさいと思ったが、大学入試まで二年も付き合ってくれた恩師、合格を告げた電話の向こうで泣いてくれた。まぁ、断われんわな。
久々に母校に行くと、恩師と小柄な可愛い少年っぽい青年が出迎えてくれた。早稲田にいくアドバイスをしてやってくれ、と恩師に頼まれた。しかし、二年も棒にふっている俺が・・・とも思ったが、そこはそれ、一応、先輩だし、偉そうに「将来何になりたいの」と聞くと、「映画の脚本家」とキッパリ言った。あまりの潔さに、一瞬、オッ!と思った。俺は、こういうキッパリ系に弱い。大好きである。本腰を入れて話をすることにした。
聞けば、自分でも8ミリで自主映画を撮っているという。俺よりもずいぶんと本格的である。映画監督より、脚本家になりたいと言う。だから、先輩みたいに早稲田にいって、脚本の勉強をしたいと、嬉しいことを言ってくれる。まぁ、早稲田出の脚本家は、ごまんといる。山田太一今村昌平小津安二郎もそうだ。
で、現実的な話になって、どれくらい勉強ができるのか。所謂、偏差値である。映画青年だけあって、勉強の方はいまいちであった。当時は、第二文学部という選択もあったが、夜間部なので二の足を踏んだ。日本大学芸術学部というひらめきが思い浮かんだ。俺も受験した経験がある。偏差値も、そう高くない。将来、「脚本家」になるという明確な目標があるなら、俺のように早稲田入学で余分な時間を使うより、日大の芸術学部という選択肢を考えてはどうかとアドバイスした。その後、江戸川乱歩賞を受賞する大先生になるとは知らず、偉そうに。穴があったら、入れたい、いや、入りたい。
その後は、野沢に会うことはなかった。野沢は、俺のアドバイスを参考にしたかどうかわからんが、日大芸術学部に進学して、一流の「脚本家」になる。「破線のマリス」で江戸川乱歩賞を受賞した折、高校の後輩であったことを知る。もはや完全な中年顔であった野沢の顔写真を眺めていると、おゃと思った。どこぞで会ったような。あの夏の一瞬だけの出会いが蘇ってきた。アラアラ偉くなって、祝福の気持ちより、いいなぁ~という感情が先に立った。妬み、嫉み、の負の感情である。情けなや。
その後、野沢の活躍に注目していた。なかなかやるじゃん!と思っていた矢先に、44歳で首吊り自殺。「夢はいっぱいあるけど、失礼します」という不可解な遺書を残して。その時は、別段、ああ死んじまったか、くらいの感覚あった。
俺は、NHKスペシャルドラマ【坂の上の雲】の脚本が野沢であるこを全然知らなった。数年前、再放送の時、何気に見ていて、エンディングテーマの久石譲作曲「Stand Alone」が流れた刹那、エンドロールの「脚本 野沢 尚」の文字が目に飛び込んできた。その瞬間、目頭が熱くなった。涙がボロボロと流れたきた。自分でもよく理解できない感情である。久石の情緒あふれる「Stand Alone」のせいかもしれない。渡辺謙のナレーションのせいかもしれない。実際に自死した時よりも感情が揺り動いた。不思議なことである。あの夏の一瞬の思い出に浸り、つかの間、幸せな気分になった。
その後、NHKオンデマンド「坂の上の雲」を見るたび、エンドロールでめそめそして、幸せな心地になる。その後、それまでは、あまり好きではなかった「司馬遼太郎」が大好きになり、読みふけった。久石譲の音楽も大好きになった。
享年44歳。死屍、なんとも含蓄のあることか、さすが脚本家。わが愛しき、後輩よ。合掌。

蛇足。ちなみに野沢は、最年少で向田邦子賞を受賞している。もうすぐ向田邦子没後40周年を迎える。向田も大好きな脚本家だ。いずれ、書こうと思う。合掌。

*今回は、一応、ノンフィクションということで、よろしく哀愁