どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

岡田 おめでとう! ~早稲田のおもひで

早稲田のユニフォームがお似合いの岡田君

阪神岡田監督と俺は、1957年生まれのタメ。誕生日も岡田が11月25日、俺が28日と3日違い。まもなく、おたがい66歳になる。TVで見る岡田は、65歳にしては、老けている感じ。プロ野球の監督は、それだけ苦労が多いのだろう。

1976年、早稲田大学教育学部教育学科体育学専修に現役合格して入学、野球部に入部。当時早稲田には今のような「スポーツ推薦制度」はなく、他の受験生と同様一般入試で入学するしか方法がなかった。偏差値は、軽く60を越える。野球馬鹿では、とうてい入学できない。どうしても早稲田大学野球部のユニフォームを着たかった岡田は、3年間家庭教師がつけて猛勉強。評論家だった時の受験の話。「野球だけやないで。勉強もやったよ。そら、そうよ。どうしても早稲田に入りたかったからな」 ちなみに出身校の北陽高校は、バリバリの進学校である。

1977年 秋から三塁手として5季連続ベスト9
1988年 3年秋に三冠王に輝く。
1979年 主将として春季リーグ戦優勝。
東京6大学野球では通算打率(.379) 通算打点(81)。いまだに破らない不滅の金字塔。

当時、野球部の練習場は、西早稲田の安部球場。
スタンドは出入り自由。講義の時間の合間に見に行った。今でも印象に残っていることがある。練習用のボールが黒いのである。試合用の白い硬式ボールを見慣れている者にとっては、その黒さは異様に見えた。練習で何度も使われてるボールは、グランドの土の黒さが染みついて取れないのである。当時の安部球場のグランドは黒土であった。そのボールの黒さに、野球部の凄味を感じた。
1980年、ドラフト1位で阪神タイガースに入団、1年目に新人王。打席での応援歌は「コンバットマーチ」。
1985年、伝説のクリーンアップによるバックスクリーン3連発。選手として、日本一を達成。
その後、紆余曲折、艱難辛苦、いろいろあって、2023年、監督として日本シリーズ制覇。ちなみに、早稲田大学野球部OBの日本シリーズ優勝監督は、西武の廣岡達朗以来だそうな。 

蛇足。
有名な「A.R.E.(アレ)」の本来の意味は、目標の『Aim』、敬意の『Respect』、力をつけることの『Empower』の頭文字を合わせたスローガン。そこんとこ、よろしく。