どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

君のこと、小説に書いていいかな。

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ある日、村上春樹先輩から、唐突に電話があった。

「君のこと、小説に書いていいかな」

その昔、早稲田大学第一文学部・第二文学部演劇専攻には、【早稲田演劇学会】というOB組織があった。今は多分ないだろう。なぜなら、早稲田大学第一文学・第二文学部演劇専攻という学部が、もはやこの世に存在しないからだ。別の継体であるかもしれんが、そのへんのところは、五里霧中。
さて、この【早稲田演劇学会】の主な役目は、年一回学報の【演劇学】という研究論文集を発行するのが主な目的であった。論文は、大学院生の修士・博士論文が主なものだと記憶している。学部生の卒業論文もタイトルだけは、掲載してくれた。小生の卒業論文のタイトルは、【同時代演劇の笑いについて】。当時、人気の絶頂だつた【つかこうへい】と【野田秀樹】と【唐十郎】を論破した、画期的な論文であったが、画期的過ぎて、今読んでもよくわからん。我ながら、こんな論文でよく卒業できたもんだと思うが、当時の早稲田はそんな雰囲気だった。閑話休題
さて、この【早稲田演劇学会】のもう一つの重要なイベントは、その年、演劇専攻OBで世間的に、なんとなく話題になった方を招いて、簡単なスピーチをしていただき、それを肴に、都電荒川線【早稲田】駅近くの蕎麦屋【金城庵】の二階で、コンパをするというもの。
その年は、前年に村上春樹OBが、かの有名な【風の歌を聴け】で、群像新人文学賞されていた。今でこそ、気軽にお招きすることは不可能だが、当時は、早稲田大学演劇学会の重鎮【鳥越文蔵】教授が、「あいつを呼べ」と言えば可能だった。まぁ、昔々のホントかウソか、わからん話だが。
当時、小生は、【早稲田演劇学会】でアルバイトをしていた。仕事は学報【演劇学】の郵送が主なものであり、紅顔の演劇青年だった小生にも充分な仕事であった。【金城庵】の予約も小生の役目であったのだが、そこはそれ、コンパに明け暮れていた時分だから、造作もないこと。
春樹先輩は、このようなコンパの席は苦手らしく、出席を固辞されたが、そこはそれ、当時の早稲田では、そんな眠たい話は通用するべきもなく、しぶしぶ参加された。コンパ自体は、ダラダラ酒を飲む、たいして面白みもないものだ。小生は、一応注文係という役目なので末席に座っていた。その隣に、春樹先輩が来て座った。メンバーの中で、年下と言ったら小生くらいのもので、まぁ緊急避難という感じであった。本当に居心地が悪そうだった。まぁ、その後の作風をかんがみるに当然のことだけどね。
で、春樹先輩とは、小生が年下といった気安さもあってか、とりとめのない話をした。ほんとんどは、小生が話すばかりで、先輩はつまらなそうに聞いていた。俺は、突然だが、俺は、大事なゲストの先輩に喜んでもらう意味で、あることないこと、ないことないことをしゃべり続けた。当時演劇専攻のクラスメイトに気になる女の子がいて、その女の子が住んでいる大塚の家に行って火事に遭遇したこと、昼間に新宿紀伊国屋の裏のジャズバーでジントニクックを飲んだこと、東京女子医大に胡瓜ももってお見舞いに行ったこと、文学部近くのレストランのスパニッシュオムレツがとてもおいしいこと、などなどなどなど。俺は、先輩を飽きさせないということに必死だった。とうでもいい故郷の名古屋のどうでもいい話をした。100メートル道路があって、一回の信号では横断できないとか、新幹線名古屋駅きしめんはうまいと評判だが、ほんまもんはあんなものではないかとか、一回名古屋にお遊びに来てください、僕が案内しますからとか、適当なことをテキトーにならべた。先輩は、つまらなそうに聞いていたが、特別不快な表情を見せることもなく、静かに聞いていた。コンパの最後は、恒例の【早稲田大学校歌】を歌うのだが、先輩はこの時、恐るべきことを言った。

「僕、こんな風に校歌、うたうのはじめてなんだよね」

おいおいおいおいおいおい、ほんまかいな、そうかいな。恐るべし、村上春樹。しかも、僕って。この時、俺はその後の先輩の活躍を予感した・・・というのはウソだけど。校歌を歌う時の手の振り方など、手取り手取り教授した。やれやれ。

そんなこんなで、コンパは終わり。先輩ともそれっきり。
大学卒業後は、小生は、【西武百貨店】に就職した。今では、【西武百貨店】と言うと、見る影もないのだが、当時はバリバリであった。小生が入社した時は、ウッディ・アレンの【おいしい生活】。今でも、キャッチコピーナンバーワンの呼び声高い、糸井重里の珠玉の作。
当時、早稲田小劇場が、富山県の奥地の利賀村に劇場を造る計画を西武百貨店が援助するので、その担当者に、演劇に詳しい者が必要ということで、小生が採用された。しかし、その仕事につくことはなく、へき地の浜松店でチラシ、新聞広告などを制作する販売促進部に赴任した。当時の西武百貨店は今でいうブラック企業そのもので、月100時間くらいは平気で残業していた。チラシの校了日は深夜残業は当たり前であった。眠けまなこでチラシの校正をしている時に、冒頭の先輩からの電話があった。どこで電話番号を知ったのか不思議であったが、前述の早稲田演劇学会の名簿に小生の勤務先が掲載されていた。少々長くなったのではしょるが、電話の続き。

「別にいいですけど、どんなタイトルなんですか」
ノルウェイの森
ノルウェーの話なんですか」
「いや、ぜんぜん関係ない話」
「そうですか」
「じゃ」
と電話は切れた。

数年後100%変態小説は、空前絶後のベストセラーになる。「みどり」の章は、俺の物語である。

*この作品は、フィクションです。なんちゃって。