どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

クルーズ船【飛鳥】の名付け親は、俺の親。

クルーズ船【飛鳥Ⅱ

新聞の片隅に、こんな記事が掲載されていた
今回のテーマは、【加山 雄三】ではない。彼が最後の公演と決めていたステージ、クルーズ船【飛鳥】の事である。初代は、どうしたかわからねど、今は2台目の【飛鳥Ⅱ】。この【飛鳥】という名称は、数十年前、日本初のクルーズ船という触れ込みで、船名を広く公募した経緯がある。命名者には、100万円相当のこのクルーズ船での旅がプレゼントされた。この命名者が、俺の親父である。エヘン!ただ、正確には、命名者たちのひとりである。【飛鳥】という名前は、日本初ということから、日本の始まりの時代【飛鳥時代】から容易に想像でき、【飛鳥】というネーミングは多くの応募があった。結局、応募者の中から【抽選】で選ぶことになった。親父は、運がいいのか、悪いのか、どっちがよくわからねど、2位に選ばれた。2位には、半分の50万円のクルーズ船の旅がプレゼントされることになった。50万円では、世界一周は無理でも、夫婦二人なら、日本半周くらいはできる。そのつもりで準備をしていた。ところが母親が体調を崩し、親父独りで行くことになった。出発は、東京の竹芝桟橋か横浜だったと思う。我が家は、名古屋である。出発地までは自費。それも、なんだかおかしな話だが、多分応募要項に明記してあったのだろう。親父をひとり行かすのも長男としては、どやねん。せめて出発港で見送りをしてやろうと思ったが、仕事の都合がどうしてもつかないので、新幹線の名古屋駅で見送りすることにした。名古屋駅で見送りしても、あまり意味がないと思ったが、そこはそれ、そういう気持ちになることも、ままある。一応、長男の矜持として、東京駅までのグリーン車を奮発し、車内で食べてとうなぎ弁当を差し入れた。親父は、ありがとうと微笑んでいたが、その微笑に隠れた一抹の寂しさを感じた。母親の体調が万全なら、【第二のハネムーン】なるはずであった。ハネムーンは、違うか。【フルムーン】か。

筆まめな親父は寄港地ごとに、便りを送ってきた。一番の思い出は、命名者の功績として、ディナータイムに船長のテーブルに招待されたことであった。もし夫婦二人なら、もっと楽しかっただろうと、便りの文字がにじんだ。

親父は11年前に逝き、母親は、先日誕生日を迎え、89歳になった。我が家は、二世帯住宅だが、母親は、掃除、洗濯、食事、すべてひとりでこなしている。定年退職後の不摂生な生活をして、入退院を繰り返す俺よりもよっぽど元気で、しっかりしている。

加山雄三の小さな新聞記事を見ながら、俺にもっと甲斐性があれば、母親の体調が回復してから、クルーズ船の旅をプレゼントする道もあっかなと、今さらながらに想う。まぁ、今さらジローだが・・・。

父と母と生後一か月の俺