どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

ソルトシェイカー【水戸泉】と、大相撲【名古屋場所】

   


今から30年前。1992年大相撲【名古屋場所】。西前頭筆頭水戸泉。初日から7連勝。中日、貴花田(イケメン)に初黒星、10日目、霧島(イケメン)に敗れ2敗。イケメンに負けたブ男(失礼!)の悔しさで、その後優勝争いの単独首位を走る。千秋楽、一敗差の、武蔵丸小錦、霧島の3力士が、コロコロ負ける。水戸泉初めての平幕優勝。史上24人目の快挙。その瞬間の水戸泉の言葉。

ウソーっ

そして、今も記憶に残る嬉し泣き。そんなに泣かんでも、当時は思ったが、そこは【怪我のデパート】と言われた、苦しい相撲人生のなせる業。
優勝パレードでは優勝を争った大関小錦が優勝旗の旗手を務めた。「天下の大関が、平幕力士の旗手をするとは何事か」と批判する輩もいたが、「水戸関は僕の恩人だから、誰がなんと言おうと僕が旗を持つ」と、小錦自ら願い出た。泣かせる話だ。

水戸泉と言えば、豪快な塩まき。「勝ち星に恵まれないときはせめて塩だけでも景気よくまいたらどうですか」と言われ、大量の塩を撒くようになった。1回にまく塩の量は約600g。ロンドン公演で「ソルトシェイカー」と紹介された。

幕内在位79場所で休場が99回は、横綱大関を除けば当時過去最多の休場数。それだけ怪我に苦しんだ相撲人生であった。2000年9月場所を最後に引退。断髪式には、史上最多の470人がハサミを入れた。それだけ、皆に愛された力士。年寄・錦戸を襲名。


俺は、この水戸泉と握手をしたことがある。場所は、名古屋競馬場のトイレ。小便をしている時、後ろの個室のドアが大きい音を立てて開いた。「うるぇせなぁ~」と思って見ると、水戸泉であった。相撲取りを間近にする経験がなかったので、つい握手を求めた。水戸泉は、少し逡巡したが、「ちょっと、待ってて」と言って、ていねいに手を洗い、握手をしてくれた。タオルがなかったので、着ていた浴衣のすそで拭いていた。慌てて拭いた手は、まだ少し濡れていた。あの時の湿り気を帯びた手の感触は、今も残っている。俺としては、手を洗わず、そのままで手で握手ををしてもらった方が、「運」がついてよかったのに残念に思ったが、そこは礼儀に正しい相撲取りの姿であった。昔昔の話。

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