どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

【土古】、キミは読めるか

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土古
名古屋市港区にある「土古町」。「どんごちょう」と読む。元文4(1736)年にこの地が開発された頃の「同伍(どうご)=“同じ組”の意」が起源。「名古屋競馬場」があり、地元では「土古競馬(どんこけいば)」と親しみを込めて呼ばれている。正式町名は「どんごちょう」であるが、「町」が付かない場合は「どんこ」と読む。ややこしい。

この地で1歳から小学6年まで暮らした。平屋建ての市営土古住宅。

台風のたびに、床下浸水は、当たり前。床上浸水の時は、近くの中学校に避難した。ボートで避難した記憶がある。水浸しの庭で、鮒が泳いでいるのを見た。雨戸を材木で補強するトンカチの音が、そこかしこから、聞こえて来た。

お風呂はなかった。近くの銭湯に行った。プロレス大好き少年だったワタシは、番台上のテレビで、「ビル・ロビンソン人間風車」をかじりつきながら見た。男湯から女湯へ、シャンプーを投げても怒られなかった。風呂上がりにコーヒー牛乳を飲みたかったが、お金がなかった。下足番は、1番と3番からなくなった。大きい煙突があった。風呂焚きに使うバラサ材で、チャンバラをした。

家の前を土古競馬場の馬が、引き運動で通って行った。たまに馬糞を落とした。誰も文句は言わなかった。友達の厩務員の家に行った。藁の匂いがした。少し、小便臭かった。競馬帰りの輩が、よく酒屋で喧嘩していた。魚屋から、魚を焼く香ばしい匂いが漂ってきた。

お小遣いは、1日10円。駄菓子屋のお好み焼きが30円。おいしそうだった。食べたかった。ただ、お金を貯めるという発想がなかった。5円のくじ付きのガムをいつも買った。ほんとんどハズレであった。夏はかき氷。郵便配達員が涼を求めて食べるのをうらやましく見ていた。

来客があると、土古商店街の「めん処 釜喜」から、中華そばの出前をとった。おいしかった。世の中に、こんなおいしいものがあるのかと思った。来客がくるのが待ち遠しかった。誰が、来ないかなといつも思っていた。

近くを、「臨港線」と呼ばれる鉄道が通っていた。機関車だった記憶もあるが、時代的にどうか。幻想かもしれない。川を渡る線路の上を歩いた。スタンド・バイ・ミーの世界。えらく怖かったのを覚えている。その川で友達が溺れて死んだ。踏切で列車にひかれて死んだ友達もいる。交通事故で死んだ友達はいない。そういう時代だった。

このブログの「どんこのアル中 日記」の出自は、この「土古」である。この4月に土古競馬は、この「土古」の地を離れ、金魚の名産地「弥富市」に移転する。時代の流れとはいえ、寂しい限りである。