松重数正の痛恨は、瀬名の死である。今川家との人質交換に立ち会った。瀬名への想いは、他の家臣よりも強い。強い。本当に強い。もはや「カスミ大好き」。しかし瀬名はいない。しかし瀬名の願った「安寧の世」は、なんだか、実現しそうな雲行きになって来た。ただし、その担い手は、主ではない、主の仇敵の怪物である。「安寧の世」が実現しかけた今、はたして怪物を倒す必要があるのか?そもそも、倒せることができるのか?実際に難波の繁栄を目のあたりにし、肌で感じた松重数正にとって、他の家臣より、その感が強い。
逡巡が始まる。
瀬名の願った「安寧な世」が実現するなら、その担い手は誰でもいいのではないか?いやいや、それは我が主でなければいけない。しかし、あの怪物を倒せるとは到底思えない。左衛門尉も同じ考えである。安土城を凌駕する大坂城、実際に見れば攻略など、まず不可能。戦いを挑めば、双方膨大な死者が出るのは必然。それは瀬名の願いと反する。しかし、あの怪物を野放しにしておくのは、如何なものか?せめて檻に入れておくことが肝要。その役目は誰かがしなければならない。
逡巡は続く。
若い家臣は、血気にはやってヤル気満々。それを諫めるのも老臣の役目。しかし、あの連中を説得するのは、言葉では到底無理。爆弾が必要である。ここは、拙者が爆弾になるしかない。しかたがない、俺が大坂に行こう。「関白天下、これ天下人なり」 おまけに、難波にはおいしいものが沢山ある。老齢の身、密かな楽しみのひとり食べ歩きも悪くない(これは蛇足)
さて、不発弾だったのか?
なんやかんやで、家康公は怪物の臣下となる。五奉行の筆頭として「安寧の世」を支える。ホット一息つく間もなく、怪物の死後、またごちゃごちゃしてくる。戦国時代が忘れられない輩が、有象無象。もう、ワシがやるしかない!と家康公。関ケ原で、反徳川勢力を一掃。難攻不落と言われた大坂城も手練手管で落城。その後、ごちゃごちゃ言いそうな輩は西国に押し込め、ごちゃごちゃ言わせない法度を制定。以後、世界史上類を見ない、「安寧の世」が250年近く続く。
「あなたなら、できます」 ここに、瀬名の夢みた「パクストクガワーナ」なる。
結論
数正の「寝返り」の真意を理解したのは、家康公、ただ独り。