酒向光秀が、配下を蹴り倒す、扇子で叩くシークエンス。岡田信長の酒向光秀への振舞い、そのもの。既視感を覚えた。
松潤家康が、配下の服部党の命を救うために、自ら家康と告げるシークエンス。配下を犠牲にしてまで、なんの天下人か。その覚悟を感じた。
話は全然変わる。
昭和期の部活動の愚行。名門スポーツ校に蔓延した、「後輩の指導」という名の陰惨ないいじめの数々。スポーツ系バラエティー番組でおもしろく語られるが、結構悲惨な内容。〆は、そういう愚行を耐えてこそ精神力が鍛えられるという、わけのわかん結論。
ここで、人は2つのタイプに別れる。
前者は、「後輩の指導」を嫌になる程受けたので、「後輩の指導」を継続する。
後者は、「後輩の指導」を嫌になる程受けたので、「後輩の指導」をやめにする。
日本人はほとんどの人は前者。後者はまれである。
「伊賀を越えろ!」篇を鑑賞しながら想った。前者は光秀、後者は家康。家康は、伊賀を越えながら、みずからの枠を超えていった。