28歳の若さで日中戦争で戦病死した山中監督の遺作。28歳で、すでに、この傑作を生み出している、その才覚。驚愕である。
吾輩、作中の浪人の海野又十郎に異常に感情移入してしまう。父の知人に仕官の口を頼みに行くが、毎回邪険に扱われ相手にしてもらえない。どしゃぶりの雨の夜、「もう来るな」と言われる惨めなシークエンスに金玉が縮みあがる(下品?)又十郎は、まさに己の姿。その演出力に脱帽。
昭和12年封切り当日、山中に赤紙が届く。戦中に手記に「紙風船が遺作とはチト、サビシイ」。同じ時期、同じ運命をたどった小津安二郎は、無事帰国し、何本もの傑作を残している。あらためて山中貞雄の悲運を悔やむ。「もし・・・」と考えるのは詮無いことだが、それでも想う。無事帰国したら、小津安二郎と双璧をなす映画監督になっていたことは、間違いない。しみじみ、戦争とは嫌なものだ。
この映画の大ファンがいる。山下達郎である。
「僕は初めて会う人には必ず、人生の1本を尋ねるんですが、僕にとっては『人情紙風船』こそその1本。映画館でかかると今でも必ず観に行くし、何十回観たか分からない。まったく飽きない大切な作品」。どんだけ好きやねん、達郎。まりあと2人で観たのかな。