どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

【どうする家康】では描かれなかった、悲劇「十三本塚」

「十三本塚」供養塔

松平元康は、今川から織田についた時期、「十三本塚(とみもとづか)の悲劇」の幕が開く。元康の裏切りに激怒した今川氏真は、愛知県豊橋市にある吉田城に人質としていた松平側の武将の妻子13名を龍拈寺門前で処刑、寺から離れた十三本町に埋葬した。後に人質の霊を慰める供養塔建立。これが「十三本塚」。 近くには「福岡地蔵尊」が祀られ、13人の人質の名前が記されている。13という数字から、「13人全員一気に大槍で串刺しにした」とか「13回刺しても死ななかった」等の恐ろしげな逸話も残っている。当然、亡霊がでた話もある。「13日の金曜日」もこれが起源というのは、真っ赤なウソ。

福岡地蔵尊

この出来事は、今川家衰退の始まりであった。当時、徳川と今川の間で揺れていた国衆は、氏真の残忍な行いに嫌気がさし、徳川になびく。特に、妻子を殺された奥三河の国衆は、当然徳川につく。氏真は、遠江でも同じことをする。後は今川家ローリングストーンズ。しかし、氏真だけは、京都に行き、蹴鞠を楽しみながら、長寿をまっとうする。なんとも理不尽な。

こんな悲惨の出来事は、大河ドラマにふさわしくないが、松潤家康と有村瀬名のLove&Peaceの陰には、こんな悲しい話もあったのさ。龍拈寺は、先の大戦豊橋空襲でほとん焼失、山門だけが残った。合掌。

龍拈寺 山門