昭和47年2月19日、連合赤軍のメンバーがあさま山荘の管理人の妻を人質にとって立てこもる。事件発生から、機動隊と犯人グループのにらみ合い続く。2月28日には機動隊が強行突入、連合赤軍メンバー5人を逮捕。死者3名、重軽傷者27名。
事件現場は、連日氷点下。機動隊に配給されたお弁当は完全に凍って食べることできない。
ここで、カップヌードル。お湯を入れるだけで簡単に作ることが出来て、持ち運びも非常に便利。偶然にも極寒の事件現場にピッタリ。 カップヌードルは冷え切った機動隊の隊員たちの体を温めるのに大活躍。
事件は連日テレビ中継。どのチャンネルを回しても中継。NHK・民放を合わせると、最高視聴率89.7% 機動隊員たちが湯気を立たせながらカップヌードルを食べている様子も中継。
何を食べているのか?
全国民が注目した。当時、まだカップヌードルは知られていない。この中継を機に、知ることになる。もしこの事件が発生していなかったら、カップヌードルは、今のような国民食になることはなかった。なんとも皮肉なものである。