どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

誰も知らない 小牧山城  【どうする家康】

小牧山城

家康公の天下を取るは大坂にあらずして関ケ原にあり
 関ケ原にあらずして小牧にあり
 頼山陽

家康にとって、小牧山城は生涯の中で重要な位置を占める。しかし、愛知県民でも知らない。小牧市民は、知っているが、桜の名所として、知っているだけ、その歴史を知る人は少ない。NHK大河ドラマでも取り上げたことは、俺の記憶では、ない。

小牧山城といえば、小牧・長久手の戦い天正12年、家康がいち早く小牧山に本陣を置き、遅れてきた秀吉は臍をかんだ。小牧山は、濃尾平野にポッカリ浮かんだ山。戦略上、重要な拠点。【どうする家康】の「清須でどうする!」の回で、お市と家康が清須城下を眺めるシーンで、ぽっかり浮かんだ山のシークエンスがある。多分、あれが小牧山を模したものだと思うが、自信はない。「小牧・長久手の戦い」は、関ケ原の戦いのように歴史上有名な戦いではなく、地味目の戦いである。しかし、家康が秀吉に勝った戦である。「小牧山城」は、徳川勝利の一翼を担った。家康とって重要な城だが、現在の城は、「小牧市歴史資料館」であり、本物の城ではない。名古屋城と同じ。後に建てられた城である。近年、小牧市は、これだけ歴史上意味を持つ城をほおっておくのも、どうかと発掘調査をしたら、信長時代の石垣が出て来た。
織田信長は、桶狭間の戦いの後、美濃攻めを始める。美濃国を攻めの拠点として、小牧山を選ぶ。戦略上、重要な拠点ということを戦上手な信長もわかっていた。美濃攻めに成功した信長は、岐阜城に移り、天下への足掛かりをつかむ。小牧山を支点にして、信長、秀吉、家康の三英傑が交錯する。

さて、この小牧山城、あまりお勧めはできない。小牧山は標高85.9m。岐阜城のようにロープウエイなぞない。自力であるくしかない。小山とはいえ、途中の道のりは結構しんどい。随分と若い頃、登ったが、年金生活者の今は、遠慮したい。若人諸君は、登ってくれたまえ。秋は、紅葉もキレイだ。

蛇足。
「家康公の天下を取るは大坂にあらずして関ケ原にあり。
 関ケ原にあらずして小牧にあり
 頼山陽

瀬山陽

この頼山陽、「らいさんよう」と読む。江戸時代後期の歴史家、思想家。主著に『日本外史』があり、この著作は幕末の尊皇攘夷運動に影響を与えたというから、ビックリ仰天の介。そんな偉いじいさんが、家康の天下取りは小牧にあると言うのだから、信じることにする。

さて、脚本家「古沢良太」は、この小牧山をいかに描くか?それとも描かないのか?随分の先の話だが、乞うご期待!