どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

昭和の時代、町内には、牛乳屋が必ずあった


毎朝、牛乳を届けてくれる。当時は、自転車で配達した。朝、チリンチリン、自転車のベルの音。ガシャガシャという牛乳瓶の音。子どもの頃寝床の中で、
「牛乳屋さん来たんだ」と。牛乳は、牛乳メーカーの名前が入った木箱に届けられる。朝食に、妹と半分こして飲んだ。空き瓶は、洗って木箱に戻す。なんともりっぱなSDGsである。
牛乳配達を扱った映画に、田中裕子主演のいつか読書する日とい佳作がある。田中裕子が坂道だらけの街をおっちらおっちら登って牛乳を届ける映画。岸部一徳と昔、恋人同士だったが、岸辺は、仁科明子と結婚してしまう。岸辺が忘れられない田中は未婚を続ける。病気がちの仁科が死んだ後、2人は結ばれる。ラストシーン、岸部は川で溺れかけた小学生を助けて、自らは死ぬ。その死に顔は、ほがらかに笑っている。なんとも見事なシークエンス。そして映画がエンドマーク。いつ見ても、何回みても、ほっこりする。
さて、この牛乳配達、今でもある。牛乳は、完全密封容器。木箱だった牛乳入れは、保冷庫になった。そのため、毎日だった配達は週2,3回になった。タワーマンションなどは、週1回のところも多いと聞く。配達も早朝ではなく、安全のため昼間。牛乳メーカーから、直接、女性販売員がクルマで配達する。自転車は交通安全上の理由からNG。朝のチリンチリンというベルの音は過去のものになった。
いずれにせよ、昭和の牛乳配達は、その形を変え、令和の時代も生き続けている。