どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

【シン・ウルトラマン】~浮世絵と小津と特撮~

今週のお題「買ってよかった2022」
      

映画だから、正確には「見てよかった」だが、お金を払っているのだから、「買ってよかった」でもいいだろうという勝手な解釈。お許しあれ。

久々に、公開が待ち遠しい映画。絶対に、映画館で見たい映画。鑑賞後、アレコレとネタバレを話したい映画。かっての映画が持っていた力が、存分に満喫できた。監督は、樋口だか、実質、庵野秀明の映画だろう。だって、どう見ても、庵野の方が偉そうにしている。

俺の分析は、【シン・ウルトラマン】は、浮世絵小津特撮の日本文化のいいところどりの映画だ。だから、老若男女問わず、日本人の琴線にふれる。

①浮世絵
日本が世界に誇る江戸浮世絵の特長は、その大胆な構図である。その代表格は、風景画(名所絵)の「葛飾北斎」と歌川広重である。「葛飾北斎」は、あまりにも有名なので、天邪鬼の俺は、「歌川広重」を取り上げる。彼のデビュー作 「両国之宵月」 両国橋の橋桁を画面の中央に据えた「近像型構図」。当時の人々をアッ!と言わせた。驚かせた。名所絵を描き始めて間もないころの一枚である。

「東都名所」 「両国之宵月」

当時の名所「両国橋」を描くに、なにもわざわざ無粋で荒々しい橋桁を中央に描く必要はあるのか?天才は描くのである。描く衝動に駆られるのである。両国橋の上のにぎやかな風景など、誰でも描けるからである。
庵野は、NHKのドキュメンタリーの中で、「映画は構図」だと言っている。いい構図なら、動画ではなく静止画でもいいとさえ言っている。NHKのドキュメンタリーの中で、スマホを手にそこらじゅう走り回る庵野の姿は、笑える。広重に及ばないにしろ、庵野も天才である。庵野しか表現しえない「構図」を探し求めて、悪戦苦闘、もがくのである。【シン・ウルトラマン】の会話シーンは、その庵野がもがき苦しんだ結果のシークエンスである。極めつけは、ウルトラマンメフィラス星人団地の公園での会話シーンである。この凝りに凝った構図と言えば聞こえはいいが、はっきり言ってけったいな構図の連続である。遠目でウルトラマンメフィラス星人がブランコを漕ぎ、会話するシーンは、手前のベンチ下の風に揺れる雑草にピントがあっている。さすがに、「庵野、おかしくなったのか」と心配さえする。

②小津
小津とは日本映画の至宝小津安二郎のことである。今年の世界の映画監督が選ぶベスト100に、彼の東京物語が堂々と第4位である。この作品は、もう何回も見ているか、見るたび「そんないい映画かな」と思うが、何回も見てしまう。何故か?小津映画の独特の会話のテンポがなせる技である。小津映画の代名詞「ローポジション」と双璧をなす、小津映画の特長である。小津はショットを繋ぐ技法「オーバーラップ」と「フェード」をほとんど使用していない。小津はこうした技法を「ひとつのゴカマシ」「カメラの属性に過ぎない」として否定。晩年の作品では、すべて普通のカットだけで淡々と繋いる。その陰には、【180度ルール破り】という、恐るべき小津の工夫がある。2人の人物が向かい合って会話するシーンを撮影するときには、映画には「180度ルール」という文法的規則が存在する。小津はこの「180度ルール」を平然と破った。多分「世界初」と思う。「180度ルール」の説明は、めんどくさいので省略。このルール破りの手法は、上手に演出すると、人間の生理にあうのか、なぜか心地良い。普通、ボケ茄子監督がこの手法を利用すると、つまらない学芸会風の映画になる。小津の天才性がそれを救っている。おかげで、出演者は、何度も同じシークエンスを演じさせられるので、大変だったそうな。晩年の小津作品は、「180度ルール破り」どころか、ほとんど人物を正面から撮影している。
余談だが、後にこの小津の独特のテンポを「スコーン スコーン 湖池屋スコーン♪」の歌メロでお馴染みの「社交ダンスCM」を制作した佐藤雅彦が、「音と映像のシンクロ理論」と理論化している。庵野は、(正確には樋口だが)、この小津の独特のテンポを完全にパクっている。意志的なのか、無意識なのか。よくわからんが・・・。
禍特隊同士の会話、室長の電話のシークエンスは、凝った言えば聞こえがいいが、やり過ぎ感の強い構図でも、妙に心地よい。小津の晩年の名作「秋日和」「秋刀魚にの味」共通するテンポである。
またまた余談だが、小津も構図に凝った監督である。正統派の端正な美しい構図である。小津がもし【シン・ウルトラマン】を見たら、そのハチャメチャな構図に怒り心頭だったに違いない。それは、それで、面白い気がする。

③特撮
元々は特殊撮影(SFX)、あるいはトリック撮影と呼ばれていた「技術」を総合的に指す略語。日本では特撮作品と呼ばれる映画やテレビ番組などが大きなジャンルを形成するほど独自に進化した。庵野は映画監督(特撮監督)の円谷英二が事実上の元祖と評している。円谷は海外の特撮映画『キングコング』などに影響を受けて特撮を独自に研究し、怪獣映画などを通して、1950年代以降に特撮映画を日本独自の映像技術として発展させ、尺貫法による寸法がミニチュアで使われ、映像文化や社会に多くの影響を与えた。
庵野と樋口は、円谷を異常にリスペクトしており、そのオマージュとして、今回の【シン・ウルトラマン】を制作。だから、【シン・ウルトラマン】の特撮は、「初代ウルトラマン」の特撮に、なんら手を加えていない。多少の技術進歩の影響はあるが、基本的なトーンはまったく同じだ。「初代ウルトラマン」の特撮を【シン・ウルトラマン】の特撮に置き換えても、なんの違和感もない。ウルトラマン本体を演ずる「古谷敏」も初代と同じ人物。
さらに【シン・ウルトラマン】の姿!オリジナルのオリジナルの成田淳の描いた「真実と正義と美の化身」を見た瞬間「この美しさをなんとか表現できないか」と感じたそうな。
      庵野のコメント

成田淳 【真実と正義と美の化身】(油絵)


不覚にも、このコメントを読んだ時、泣きそうになった。そして、思わず叫んだ!
庵野秀明、そんなにウルトラマンが好きになったのか」


・・・とまぁ、以上が【シン・ウルトラマン】の俺なりの分析だが、ひとつ注文ある。
ラストシーン、長澤まさみが「おかえりなさい」と言ってクレジットになり、米津玄師の主題歌【M八七】が流れる。これは、これでいいのだが、どうせなら「初代ウルトラマン」の主題歌にして欲しかった。

胸につけてる マークは流星
自慢のジェットで 敵をうつ
光の国から ぼくらのために
来たぞ 我等のウルトラマン

手にしたカプセル ピカリと光り
百万ワットの 輝きだ
光の国から 正義のために
来たぞ 我等のウルトラマン

手にしたガンが ビュビュンとうなる
怪獣退治の 専門家
光の国から 地球のために
来たぞ 我等のウルトラマン

演奏は、もちろん【ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団】のフルオーケストラ!

で、次はこれだ!

庵野秀明、よく働くなぁ~。健康には注意してくれよ。【ヴァンゲリオン】、まだ終わってないぜ。