どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

私たちが「食品」と呼んでいる物の多くは、他の生物の死体である。

今、上記の公募応募に挑戦中。次の一文が、頭をよぎった。

私たちが「食品」と呼んでいる物の多くは、他の生物の死体である。

食生活ジャーナリスト「佐藤達夫」の言葉である。このオッサン、なかなか含蓄のあることをのたまう。

植物は光合成によって、水と炭酸ガスから炭水化物を合成する【光のエネルギーを化学エネルギーに変換する】ことができる。つまり植物は栄養素を生産する能力を持っている。
一方、動物は栄養素を作り出す能力を持ってはいない。そのため、動物は他の生物を食べることによって、栄養素を取得するしか生きる術がない。人類の科学がこんなに進歩しても【宇宙で生活することができるようになっても】私たちは未だに「食品」を作り出すことができていない。私たちは栄養素を持っている他の生物を「食品」と呼んで食している。

第一次産業の「農業」は、「食品」を作っているのではない。唯一「食品」を作り出すことのできる「植物」を育ているだけのことである。「農業」とは、「植物」を搾取する、人間のなりわいなのである。思わず、う~んと唸るしかない。言われてみれば、そうである。よく「収穫の喜び」と言うが、植物が生産した栄養素を奪う喜びなのである。尊いイメージのある「農業」も、なんだか色あせて見える。
この視点から、「農と食への“ひとことメッセージ”」を考えようとしたが、さすがに無理だわな。「農への冒涜」とお百姓に怒られそうである。テーマとなる「農業の楽しさ」や「農と食への思い」は、微塵もない。
しかしながら、人類の歴史は「食品争奪の歴史」であることも事実なのである。Oh,No!