どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

【稲作】にかける、日本人の執念~津軽 大川原棚田

大川原 棚田

公募応募に明け暮れる毎日。いい加減、飽きて来た。気分転換の意味で、「大川原棚田米」ネーミング&キャッチコピーに挑戦している。これも公募応募か。賞金はなく、大川原棚田米がもらえるだけであるが、世の中、金だけじゃない。(本当は、金だけだけどね)
「大川原」を知っているか?知らんわな。俺も知らんなんだ。北は津軽黒石市にある田舎である。

大川原
青森県のちょうど中央に位置する黒石市。三方を津軽平野に臨み、東に八甲田の峰々が連なる四季の彩り鮮やかな同市の中にあって、大川原地区はその自然の豊かさと豊富な湯量の温泉、そして奇祭とさえ評される伝統の祭事「大川原の火流し」で著名な地域です。

稲作には適さない、本州の最北「津軽」の地で、山を切り開いて、米を作るというから、日本人の稲作にかける執念を思い知る。司馬遼太郎曰く、東北の貧困のもとは、稲作に適さない地域なのに、稲作に固執したことにあるそうな。稲作をあきらめ、他の農作をしていたら、もっと豊かになっていたそうな。そんな思いで見る、「大川原棚田」は切ない。広さは、約32ha。そう広くはない。しかし、重機などない、600年以上前から開墾されたという。先人の苦労が偲ばれる。そんな思いを、ネーミング&キャッチコピーに込めた。
稲作に適さない地域だけど、昼夜の寒暖差が激しく、皮肉にも旨い米ができるという。ご飯大好き星人の俺としては、一等賞を獲得して、自ら名付けた米を、たらふく食べてみたい。

もう一つ、俺の琴線に触れたのが、
奇祭とさえ評される伝統の祭事「大川原の火流し」である。

大川原 火流し

毎年8月16日に催される、アシガヤを編み上げた長さ3m、幅1.5m、帆柱3mの舟3隻に火をつけ、河川を勇壮に引き下る奇祭「大川原の火流し」は、戦国時代の合戦を彷彿とさせる下りの激しさと、対照的に静かに響き渡る祭囃子の清廉さで、見る人を深い感動に誘う。
3隻の舟はそれぞれが「早生」「中生」「晩生」の稲に見立てられたもので、燃え方で翌年の実りの吉凶が占われる。

奇祭!なんとも、心惹かれる言の葉。日本の祭りは、奇祭が多い。というか、奇祭しかない。その土地の気候風土に根差したものだから当然ではあるが、その伝統を脈々と今に伝えている。ああ、日本人でよかった!と思う瞬間である。残念ながら、昨今、その伝統がすたれる感がある。少子高齢化の時代、しょうがないと言えばそうなのだが、寂しい限りである。
「大川原の火流し」は、当分の間、大丈夫であろう。何故か?大川原には、「棚田」と「火流し」しかないのである。後は、四季の魅力にあふれる自然だが、そんなものは日本中どこにでもある。「棚田」と「火流し」は、生き続ける。希少価値の故である。そんな想いもネーミング&キャッチコピーに込めた。

願わくば一等賞を獲得し、「名づけ親」として、仙台より北に行ったことのない我が身が、津軽を訪れ、「大川原の火流し」を肌で感じたいが、不健康な人生を満喫している身にとっては、少し無理か。それはそれで、悲しい喜劇である。