どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

悲惨な人生

     


スマホソフトバンクの前は、英国のボーダホンという会社であった。その前は、日本のJ-PONEという会社であった。その前は、東海デジタルホンという会社であった。当時は、日本全国統一ではなく、関東、東海、関西、等々ブロックに分割されていた。昔々の話である。

紆余曲折、色々あって、俺は、J-PONE時代に、カタログの責任者であった。まだ、スマホのスの字もない時代である。携帯電話の創成期であり、毎月のように、今で言うガラケーが新発売された。当然、完成品は間に合わないので、モックと呼ばれる模造品を写真撮影し、カタログに掲載した。当然、本物でないので、いかに本物らしく撮影するか、カメラマンとああだ、こうだとよく議論した。今考えれば、懐かしい思い出であるが、当時は必死であった。思い出すたびに、辛い気分になるというのは、嘘。

当時のメインキャラクターは、【優香】であった。今なら、CG合成で機種の差し替えなの簡単なのだが、当時はそこまでのCGはなく、数十種類の携帯電話を優香に持ってもらい、取り換えひっかえ撮影した。3時間は超える撮影であった。優香はできた人間で文句ひとつ言わなかった。プロダクションの指導であろう。だから、今でも優香は大好きだ。最近、TVには出てこないけどね。

カタログの校了前は地獄であった。当時、J-PONE東海の事務所は、名古屋セントラルタワーにあった。午後5時にそこに呼ばれる。カタログの最終の校正の確認である。俺より20歳も若い、J-PONE東海の担当者は、平然と「じゃぁ、明日の10時に最終校正を持って来て下さい」とのたまう。完徹して最終校正を持ってこい、ということである。当時は、士農工商代理店の時代だから、しょうがない。しかし、気が収まらないので、隣にあるマリオットホテルのバーで、マッカラン16年物をあおって、会社に帰り、スタッフ、印刷会社の担当者を呼んだ。みんな、また、やれやれ、またですかという感じで、文句ひとつ言わず作業に取り掛かる。俺は、指示した後、特別やることもないので、事務所の床に横たわり、仮眠をとる。明け方、校正が完了し、クライアントに届ける。そんな日常であった。

ある日、担当者があまりにも横柄なのなので、さすがに腹が立ち、わざと校正ミスをした。J-PONE東海担当者は怒り心頭。おれは、謝りもせず、「まぁ、こういうこともたまにはありますわ」との賜った。共同責任だが、3千万円くらいの賠償をしたと思う。当時、売り上げが30億円を超えていたので、3千万くらいと思っていた。当然、業務も外されると思ったが、こんなゴミのような仕事をする輩はいないので、そのまま継続した。で、相変わらず、マリオットホテルでマッカランをあおった。当時、もう、アルコール依存症だったのだろう。まぁ、これも人生。

J-PONEが、英国のボーダホンに買収され、メインキャラクターが、当時バリバリのサッカー選手のベッカムになった。なぜか、俺も手元にベッカムのキャラクターグッズが山のようにあった。おれは別段、ベッカムに興味はないので、サッカー好きの友人に進呈したら、涙を流さんばかりに感謝された。

その後、携帯電話では、ブロック制を廃止し、全国制になる。その時、死に物狂いのプレゼンテーションをする。20日くらい、完徹の日々であった。結局、同時人気のドラゴンアッシュを起用した博報堂に敗北した。30億円を超える売り上げが、一瞬にして消滅した。後は、リストラの嵐である。上の者は、知らず存ぜずで、知らん顔。当然、カタログの責任者の俺に、白羽の矢が当たる。まぁ、その後の人生は悲惨なものであるが、人生とは悲惨なものでものあるので、しょうがない。