どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

酒豪【立原正秋】享年54歳。意外と若い。

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立原正秋は、54歳で食道がんで逝く。随分と偉そうな事を書いていたので、もっと年老いていたかと思ったが、意外にと若い。まぁ、アル中は、短命だから妥当なところか。文壇の酒豪番付で横綱をはるくらいだから、大酒呑みだった。雑文集【秘すれば花】の酒の話は、超イケてる。

酒中日記を書きはじめる。文壇人とのつきあいがないのに、こんなものを書いてもしょうがないではないか、とことわったのに、つきあいがない日記を書けと編集者が言う。日々これ酒に明け酒に暮れる。酒を飲みながら書いているこの文章、すなわち酒中日記である。酒中日記
私の酒はお茶と同じだから、日本酒に換算して四升から五升までなら、常と渝らない。五升を越したら少し酔ってくる。二十年来の酒
とにかく私の酒はこんな四六時中酒びたりのことが多い。長の酒

まぁ、こんだけ飲めば、54歳なら長生きした方かもしれん。
俺が、朝からビールを飲むようになったのも、岐阜の銘酒【三千盛】を愛飲しているのも、立原の影響だ。今はしてないけどね。立原との付き合いは長い。今から40年以上も前の話。立原は、中日新聞(東京では東京新聞)の夕刊で、文芸批評をしていた。当時、大学浪人でヒマだった俺は、この文芸批評をよく読んだ。【歯に衣着せぬと】はこのことかという感じで、当時発表された作品をボロクソカスに批評していた。石川達三の【四十八歳の抵抗】なんかは、老人のたわ言にすぎないと書いていた。随分と先輩なのに、その心意気やよし。その小気味いい文章に誘われて、当時まず読まなかったであろう石川達三を読んだ。確かに老人のたわ言であった。その後、立原の小説は結構読んだが、【冬の旅】くらいが印象に残っているくらいで、後は男と女のグダグダ話で、正直あんま覚えていない。そのかわり立原が雑文集と呼んだ、エッセイの類は面白い。小島政二郎の美食随筆に対して「味なんか何も分らない人だ」と徹底的にこきおろした逸話は有名だ。ガッツあふれるその言動は、令和の時代、なぜか、いとおしい。