今週のお題「お気に入りのスニーカー」
子供の頃、「スニーカー」という言葉はなかった。「運動靴」と言っていた。
小生が大学に入学した1970年代後半から、
「スニーカー」という言葉が使われだした気がする。
正確ではない。なにしろ、今から40年前の話。
当時、小生は、村上春樹先輩ご執着の「名古屋」から、上京し、早稲田大学第一文学部に入学した。な、なんと、【役者】になるためにである。今から考えると、「おいおい大丈夫か?」正気の沙汰とはとても思えないぜ!という感じだが、その頃、都会に憧れる地方の若者の選択肢は、「バンド」か「芝居」の二択であった。正確ではない。なにしろ、今から40年前の話。
早稲田で芝居と言えば、【早稲田大学演劇研究会】である。通称、【劇研】である。【劇研】以外の演劇サークルは、くそである。カスである。ボケである。これも正確ではない。なにしろ、今から40年前の話。当然、小生は、【劇研】に入り、紅顔の演劇青年となった。
【劇研】と言えば、一応演劇サークルなんだが、その実、体育会系のクラブであった。新人の頃は、【体幹訓練】と称して、毎日、3キロくらいのランニング、腹筋300回、腕立て300回、30分くらいのわけのわからない「3拍子」なるものをやらされた。正確ではない。なにしろ、今から40年前の話。少々、くどいか? 当然、一日中ジャージ姿にスニーカーである。ようやく、スニーカーの話。
大いなる田舎「名古屋」から、大都会「東京」に上京した小生は、完全に浮かれていた。浮足立っていた。「役者を志すもの、稽古着からバチバチに決めなければいかんぜよ!」と、なけなしの仕送りの中から、好きな青色のジャージの上下を買った。そ、そして、「やっぱ、トータルコーディネートだぜ!」ということで、【アディダス】の青いスニーカーを買った。結構、高かったと思う。正確の値段は覚えていない。なにしろ今から40年前の話。大学4年間、大切に履き、今でも大切な思い出。
青いジャージに青いスニーカー。
その姿、全身青色。まさに【進化の青色仮面】
さて、ランニングコースだが、大隈講堂裏のアトリエから、かって陸軍の射撃場があった、戸山公園の【箱根山】までの往復である。【箱根山】は、山手線の中では、標高が一番高く、44.6mもある。これは、正確だ。【Wikipedia】で調べた。ふもとから山頂まで、歩くと5分の距離だか、そこをダッシュで駆け上がる。流れるBGMは、当然マッチの【スニーカーぶる~す】。駆け上がるその姿は、【青いイナズマ】と言いたいところだが、結構勾配がきつく、地面でうごめく【青虫】。まさに青春である。
さて、今年【還暦】。【青いスニーカー】を脱ぎ、
【赤いスニーカー】を履く時が来た。
みんな、元気か?