どんこのアル中 日記

名古屋在住の【年金生活者】。方丈記&徒然草。

アル中まみれのアメリカ文学

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ノーベル文学賞を受賞した7人のアメリカ人のうちの5人は、なんとアル中であった。恐るべき確率である。フォークナー、フィッツジェラルドヘミングウェイ、オニール。文学とアルコールと切っても切れない関係なのかもしれない。
俺も、物書きの端くれとして、書けない時にアルコールに活路を求める気持ちがよくわかる。だから、アル中になった。なんか、俺みたいなチンピラが偉そうだな。反省。
中島らもが書いていたが、創作の隙間隙間に、アルコールが忍び寄る。なんともしがたい。今、不可欠のリモートワークも危ない。どうしても、業務業務の間に隙間が生じる。そこに、アルコールが忍び寄る。やれやれ。コロナ禍の次の危機は、アル中蔓延危機かもしれない。事実、そんな報告もある。ご同輩諸君、リモートワークの昼酒は、厳禁。肝に銘じてよ。

しかし、詩人は乾く


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落語【芝浜】は、アル中、再生の物語。

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落語【芝浜】と言えば、俺にとっては、古今亭志ん朝にとどめを刺す。江戸情緒あふれる、最後の噺家だった。

芝浜
アル中の魚屋の熊が、芝浜で財布を拾う。女房は、その財布を亭主が酔って寝ている間に隠す。拾った金で飲み食いしようとする熊に対し、「財布なんぞ拾ってない、夢でも見たのでは」と、女房はシラを切る。熊は深酒を反省し、酒を断ち、稼業に打ち込む。女房は、財布を拾得物として役所に届け、落とし主が現れなく下げ渡され、その財布を大事にとってあることを告白する。熊は、女房のその機転に感謝する。

女房の機転のおかげで、熊は、見事アル中を克服する。何度聞いても、しみじみする人情噺である。俺もかくありたいと思うが、前途多難。

さげも秀悦。熊の再生を暗示する。

女房は「久し振りに酒でも」と勧める。熊は、酒の湯呑みを口元に運ぶが手を止める。「よそう。また夢になるといけねえ」

志ん朝もアル中であった。糖尿病を患い、63歳で肝臓がん逝く。死ぬ直前まで、大好きな日本酒を味わったというから、それはそれ、幸せな一生だったのかもしれない。その日、多くのスポーツ新聞の一面を飾った。多くの人が弔辞を述べた。すべからく、江戸の情緒が失われたと。山手線「高輪ゲートウェイ駅」の三番目の候補名は、【芝浜】であった。江戸の雰囲気を残す駅になったのに。残念!


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本日、【木槿忌】。「字のない葉書」を読んで、泣く。

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向田邦子【字のない葉書】抜粋

終戦の年の四月、小学校一年の末の妹が甲府学童疎開をすることになった。すでに前の年の秋、同じ小学校に通っていた上の妹は疎開をしていたが、下の妹はあまりに幼く不憫だというので、両親が手放さなかったのである。ところが、三月十日の東京大空襲で、家こそ焼け残ったものの命からがらのめに遭い、このまま一家全滅するよりは、と心を決めたらしい。
妹の出発が決まると、暗幕を垂らした暗い電灯の下で、母は当時貴重品になっていたキャラコで肌着を縫って名札を付け、父はおびただしいはがきにきちょうめんな筆で自分あてのあて名を書いた。
「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつポストに入れなさい。」
と言ってきかせた。妹は、まだ字が書けなかった。
あて名だけ書かれたかさ高なはがきの束をリュックサックに入れ、雑炊用のどんぶりを抱えて、妹は遠足にでも行くようにはしゃいで出かけていった。
一週間ほどで、初めてのはがきが着いた。紙いっぱいはみ出すほどの、威勢のいい赤鉛筆の大マルである。付き添って行った人の話では、地元婦人会が赤飯やぼた餅を振る舞って歓迎してくださったとかで、かぼちゃの茎まで食べていた東京に比べれば大マルにちがいなかった。
ところが、次の日からマルは急激に小さくなっていった。情けない黒鉛筆の小マルは、ついにバツに変わった。そのころ、少し離れた所に疎開していた上の妹が、下の妹に会いに行った。
下の妹は、校舎の壁に寄り掛かって梅干しのたねをしゃぶっていたが、姉の姿を見ると、たねをぺっと吐き出して泣いたそうな。
まもなくバツのはがきも来なくなった。三月目に母が迎えに行ったとき、百日ぜきをわずらっていた妹は、しらみだらけの頭で三畳の布団部屋に寝かされていたという。
妹が帰ってくる日、私と弟は家庭菜園のかぼちゃを全部収穫した。小さいのに手をつけるとしかる父も、この日は何も言わなかった。私と弟は、ひと抱えもある大物からてのひらに載るうらなりまで、二十数個のかぼちゃを一列に客間に並べた。これぐらいしか妹を喜ばせる方法がなかったのだ。
夜遅く、出窓で見張っていた弟が、
「帰ってきたよ!」
と叫んだ。茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た。

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炎天の空にむかいて開きたる青き木槿に 蝶々来たり
 

暴論 年寄りを追い出し、妊婦を受け入れろ。

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非難を承知で書く。

コロナ禍の病床ひっ迫。もう、90歳以上の重症患者には、ご遠慮いただいたらどうか。ご本人も長生きしてもしょうがないと思っているだろう。死にかけの命とこれからの命。どっちが重要だ。命の重さは、みな同じ。そんな能天気な話は、もういい。死にかけの命とこれからの命が、同じか。現実的に考える時が来ている。違うか。

 

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「不幸な事態になった」 経緯を淡々と説明する柏市の担当者。何とも言えません。たまりませんわ。これから対応策を考える。これから、ですか。

葉月初風に生まれし、君へ。

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縁ありて我が子なりにし君よ
故ありて祝いの乾杯かなわず
ひとりして胸の奥底で乾杯す 

葉月初風に生まれし君よ
願わくば大葉を繁り
我がいとしき菜の花を守りたまえ

いつの日か
無垢なる魂を我が手で抱く日を夢みし
我が子荷にならず

いとしき新しき我が子よ
負わず借らずに子三人
親の意見と冷や酒は後で利く

よろしく哀愁

【団体競技】に強いが、【団体戦】に弱い、日本人の特性。

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野球、ソフトボールは、金メダル。柔道混合団体、体操男子団体は、銀メダル。

この差をつらつら考えた。野球、ソフトボールは、【団体競技】。柔道混合団体、体操男子団体は、【団体戦】、正確に言えば、「個人競技」による【団体戦】である。似て非なるもの、全然別物である。「団体競技」と「個人競技」、まったく違う。
日本人のメンタリティーとして、「チームのために For the team」という思想のもと、一致団結すると、まことに強い。
巨人の坂本選手は、躊躇なく、送りバントをする。栗林投手も、嫌な顔せずに、淡々と連投する。上野投手は、39才で若い選手をグイグイ引っ張る。後藤投手も、三試合連続の好リリーフ。しかもアホな河村が金メダルをかじったオマケ付。
それに比較して、柔道、体操は、団体戦と言いながら、個人の勝負である。「チームのために For the team」という思想は同じだが、そのためには一人ひとりが頑張るしかない。団体競技に必要な「自己犠牲」の精神は必要ない。
この「自己犠牲」の精神が必要か、不必要か、の違いにあるような気がしてならない。チームのために自分が犠牲なるという気持ちの時は信じられない力を発揮するが、チームのために自分自身が頑張るしかないという状況では、モチベーションがそれ程上がらない。
つらつら思うに、多分、これが日本人の本質なのかもしれない。令和になっても、昭和と変わらない。心の奥底では。犠牲になりたいのだ。自分の幸せより、他人の幸せ。これが日本人の美徳なのだ。

さて、ここでやっかいなのが、ベスト4の「サッカー」である。「自己犠牲」にあふれたチームワークのいいチームだった。しかし、今一歩、メダルに届かなかった。何故か?答えは単純である。他のチームが強かったからだ。フットボールは、全世界で行われている最大のスポーツだ。強豪チームはごまんといる。
それに比べ、ベースボール、ソフトボールは、東南アジア、北中米の地域のみで行われている辺境のスポーツだ。今回のオリンピックでも自国開催という観点から、採用された競技種目である。ソフトボールなどは、北京オリンピック以来、13年ぶりの金メダル連覇である。これは、これで驚きだ。次回のパリ大会では開催されない。極端な言い方をすれば、「井の中の蛙 大海を知らず」的なスポーツである。まぁ、こればっかりは、なんともしがたい。
「サッカー」は、大海の波にもまれるスポーツだ。他のスポーツの世界選手権にあたる「ワールドカップ」に出場するだけでも大変である。地区予選、最終予選を勝ち抜いてやっと出場。そして、胃がキリキリ痛む予選リーグ。そして、未知の世界の決勝トーナメントの先のカップである。他のスポーツとは、その規模、その費用、その経済的効果は、格段の違いだ。
しかし、それだからと言って、野球、ソフトボールの金メダルの輝きがあせることはないのだが、事実は、事実であり、現実である。

惜しむらくは、「無観客」である。今さら言ってもしょうがない。「たられば」は、勝負の世界には通用しない。しかし、それでも俺は思う。もし「観客」が入っていたら・・・。サッカーは、ホーム&ウェイの差が明確にあらわれるスポーツだ。他のスポーツにも、同じ傾向はあるが、サッカーは、その感が強い。もし、「観客」のサポートがあれば、金メダルの可能性も充分あったチームであった。今さら言ってもしょうがないが、何度も言う。久保のあの号泣を思い返すたびに、目頭が熱くなる。また、余談にそれた。

俺は、日本人で幸せだ。コロナ禍の中、しみじみ思う。皮肉ではなく、本心から。
さぁ、「ワールドカップ」だ。久保のうれし泣きを見たい。見せてくれ、八咫烏

俺の犬が、「アフガニスタン」と鳴くようになった。

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アフガニスタンベトナム
この二つの国を思う時、切ない気分になる。大国のエゴに翻弄された国。いろいろあると思うが究極は、大国の「予期なお世話」で、人々が苦しんだ。ベトナム戦争は、昭和生まれの世代には、身近な話題であるが、アフガン紛争は今一つピンとこない感じだ。多分、ハリウッド映画の影響じゃないかと、勝手に推測する。ベトナム戦争を扱った名作は数多くある。キューブリックフルメタルジャケット」、コッポラ「地獄の黙示録」、オリバーストーン「プラトーン」、そして敬愛するマイケル・チミノ「ディアハンター」等々。それに比べアフガン紛争は思い浮かばない。「ランボー」シリーズの一作品くらいか。
アフガン紛争の歴史は、長い。諸説あるが、1979年前後のソビエト連邦の軍事介入か。しかし、ソビエト連邦というのも懐かしい。それから、今まで、ず~~~~~~~~~~~~~っと紛争が続いている。「世界一長い戦争」とも言われている。その間、介入する大国が、ソビエト連邦からアメリカ合衆国に変遷し、そして中国がしゃしゃり出てくる。なんとも皮肉なものだ。お前らいい加減にしろ。で、首都「カブール」は陥落した。大国のエゴを「カブール」って来たが、これで終わり。後は、アフガニスタンの人々が決めればいい。いいか悪いか、そんなの余計なお世話。
さて、タイトルの「俺の犬が、“アフガニスタン”と鳴くようになった。」は、早稲田演研究会の最後の舞台で、俺が放ったセリフである。今でもよく覚えている。当時のソビエト連邦のアフガン侵略を皮肉ったセリフである。犬は、「アフガン・バウンド」という名前である。創造ではなく、実際に存在する犬の種類である。

アフガン・ハウンド
アフガニスタンを原産国とする犬種。最も古い犬といわれ、旧約聖書に出てくる「ノアの方舟」に乗った言われている。ピラミッドやパピルスアフガニスタンの山岳や砂漠地帯の気温差の激しい環境に順応するために独特の長い被毛を持つようになった。18世紀にイギリスに持ち込まれ、その美しい容姿からショードッグとしての改良が重ねられ、世界の富裕層を中心に広く飼育される。独立心が非常に強く、意に反した命令をされることを嫌う。「世界一頭の悪い犬」という不名誉な評価も持つが、それは知能というよりも、服従度の問題。冒頭の写真が、アフガン・バウンド。イケメンである。

美しいと言われ世界の富裕層に飼育されるが、その本質は、いかなるものにも服従しないという不屈の精神の持ち主。まさにアフガニスタンの国、そのものではないか。40年以上も前の俺は、そのセリフを早稲田の夜空に放ったのだ。
アフガニスタンの再生の祈りをこめて、ふたたび叫ぼう!

俺の犬が、「アフガニスタン」と鳴くようになった。

この後。俺はプロの役者を目指し、早稲田演劇学会を退会し、オーディションを受けまくるが全滅で、結局、役者の道を諦める。まぁ、どうでもいい話。しかし、オーディションを落ちまくった話は結構イケてるので、いずれ書く。乞うご期待!

さて〆は、アル中らしい、含蓄のある言葉。
いずれ世界は、イスラム教徒に席巻される。何故なら、彼らは酒を飲まない。したがって、アルコール依存症にならない。キリスト教徒、仏教徒は、酒を飲む。ワインはキリストの血であり、般若湯は百薬の長である。アルコール依存症に陥りやすい。しらふ VS 酔っ払い、勝負は見えている。これが、酒を飲まずにやってられるか!ってね。

メッシには、パリがよく似合う。

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パリが燃えている。たった一人の男せいである。メッシである。メッシは、天才ではない。努力の人だ。

メッシは、マラドーナではない。王貞治だ。
パリ市民は、そのことを、よく知っている。俺は、正直、パリ市民が苦手。なんとなく横柄である。パリに住んでいることに、異常に誇りをもっている。それ故、パリ市民以外を上から目線で見る。
英語はまず通じない。パリ留学の時にえらい目にあった。多分、俺のつたない英語でも通じると思ったが、甘かった。フランス語しか話さないのである。自国語への強烈な自己意識。それは、それで素晴らしい。外来語を垂れ流す、日本語とは対極の存在だ。それ故の芸術の都だ。閑話休題
それ故、外来種には、厳しい面があるが、その価値の本質を嗅ぎ分けると、突然優しくなる。それが今回のメッシの歓迎である。これが、マラドーナなら、ブーイングの嵐であろう。
パリのレストランで飲んだ、俺の地元の日本酒【醸し人九平次】の美味しかったこと。思わず涙がでた。お前、パリでも愛されているんだなと、しみじみした。まぁ、アル中が何を言う。
日本柔道は、混合団体戦で、フランス柔道に完敗した。これが、パリだ。

次は、パリだ。「お、も、て、な、し」はしないだろうが、そんなの関係ねぇ!TOKYOの屍を越えてゆけ。今は、まだ人生を語らず。

その昔、【飛騨川バス転落事故】という最悪の事故があった。

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飛騨川バス転落事故
1968年(昭和43年)8月18日未明、岐阜県加茂郡白川町河岐の国道41号において生じた土砂災害によるバス事故。名古屋市内から乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち、2台のバスが、集中豪雨に伴う土石流に巻き込まれて、増水していた飛騨川に転落し、乗員・乗客107人のうち104人が死亡。日本のバス史上における最悪の事故である。

バスの乗客107名のうち104名が犠牲、生存者3名という、死亡率100%に近い、バス事故史上最悪の惨事である。なんと、この俺は、父と叔母さんと三人で事故をまぬがれた他のバスに乗っていた。当時、小学校5年生である。深夜のバスの中で、雨がいっぱい降っていて嫌だな~と思った、かすかな記憶がある。明け方、先方のバスが川に落ちたと聞いた。土砂崩れで先には行けないので、名古屋に戻るということになった。今なら、ドキドキものだが、小学生の俺は、多分、無知で平気だったのだろう。家に帰ってきて、新聞の号外の束を見て、はじめてスゴイ事故だと知った。この号外を題材にして、夏休みの自由研究にした。まだ手元にある。事故のことは、雨が降っていて、バスが2台、川に落ちたという簡単なことしか書いていない。その代わりに、帰り道、下呂温泉に寄って、玉子丼を食べて、とっても美味しかったなどと書いている。まぁ、小学五年生の印象なんて、そうなもんだろう。
当初は、父と母と妹の一家四人で行く予定だったが、前日に妹が熱を出して、母と妹の代わりに叔母さんが行くことになった。今思えば、事故にあわなくて本当に良かったと思う。俺と父が死んで、母と妹が二人残された可能性もあるかと思うと、正直、びびる。当時の母の心中は、いかばかりか。
事故から50年以上の月日が流れ、事故の記憶も風化した。今般の猛威をふるう自然災害に接する時、この事故のことを、ふと思い出す。
数人の遺体は、飛騨川、木曽川を下り、伊勢湾を流れ、知多半島で見つかったという。まもなく8月18日を迎える。事故を免れた幸運を思い、静かに黙とうをしよう。合掌。

www.youtube.com

【向田 邦子】没後40周年。

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飛行機嫌いなのに、皮肉にも台湾の航空事故で死ぬ。飛行機事故で逝くなんて、なかなかできないこと。なんだか、脚本家らしいか。享年51歳。8月22日の命日は、【木槿(むくげ)忌】。

わずか3作の短篇小説「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞を受賞。一冊も単行本を出版していないのにである。なんとも鮮やか。

イヤらしい話だが、俺の向田邦子のイメージは、【黒の水着姿】。はじめて見た時は、ハッとして、グッときて、思わずその美しさに胸がうずいた。3か月分のお給料で、アメリカの雑誌で見かけた、黒いの飾り気のない水着を買った。俺は、その黒い水着の写真を何度も眺めてしまう。イケてるのである。イヤらしい気持ちではない、美術作品を鑑賞する、そんな気持ちか。違うか、やっぱりイヤらしい目か。
誕生日は、11月28日。俺と同じ。この日は、美女が生まれる日だ。伊沢蘭奢、田中絹江、松雪泰子原田知世あべ静江松原みき、安田成美。男はたいしたのがいない。松平健というスペシャルがあるが。しかし、美しい。しかも才能がある。同じ作家仲間の評判もいい。なぜか【樋口一葉】の姿がタブる。
『銀座百点』に【父の詫び状】を連載する時は、乳癌の手術の輸血による肝炎と、右腕が動かない後遺症で、左手で執筆していたというから、凄まじい。

向田さんは、素敵な老人になれる人だった。素敵に老いることは人生最後の大難事だが、向田さんは絶対になれる人だった。これも惜しいことのひとつである。
老人ホームきっての人気者で、相手をしてもらたい人が多くて、なかなか順番が回ってこないかもしれないが、じっと順番を待っていたのに・・・  
山藤章二 追悼文

生きていれば、今年92歳。上品な昭和の香りのする女性であった。8月22日には、木槿の花を飾ろう。合掌。

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センジョウコウスウタイ

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線状降水帯。ここ数年でよく使われるようになった言葉。その響きだけを聞けば、なんとなく恐ろしい。なんか、未知のウイルスの趣きである。雨雲レーダーの画像は、なんだかウイルスっぽい。平成26年の広島豪雨被害の時に、使われたのが始まりらしい。また、同じ場所を襲う。ご自愛あれ。

後輩【野沢 尚】を想う。

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脚本家【野沢 尚】は、高校の後輩だ。野沢は、1960年生まれ、俺は57年。だから同じ時期には、在学していないが、一度、野沢に会ったことがある。
二浪して、やっと早稲田大学第一文学部に入学した俺。夏休みに帰省していた折に、高校三年生の時の担任の先生から電話があった。「早稲田に行きたいという生徒がいるから、ちょっと話をしてやってくれ」という旨。面倒くさいと思ったが、大学入試まで二年も付き合ってくれた恩師、合格を告げた電話の向こうで泣いてくれた。まぁ、断われんわな。
久々に母校に行くと、恩師と小柄な可愛い少年っぽい青年が出迎えてくれた。早稲田にいくアドバイスをしてやってくれ、と恩師に頼まれた。しかし、二年も棒にふっている俺が・・・とも思ったが、そこはそれ、一応、先輩だし、偉そうに「将来何になりたいの」と聞くと、「映画の脚本家」とキッパリ言った。あまりの潔さに、一瞬、オッ!と思った。俺は、こういうキッパリ系に弱い。大好きである。本腰を入れて話をすることにした。
聞けば、自分でも8ミリで自主映画を撮っているという。俺よりもずいぶんと本格的である。映画監督より、脚本家になりたいと言う。だから、先輩みたいに早稲田にいって、脚本の勉強をしたいと、嬉しいことを言ってくれる。まぁ、早稲田出の脚本家は、ごまんといる。山田太一今村昌平小津安二郎もそうだ。
で、現実的な話になって、どれくらい勉強ができるのか。所謂、偏差値である。映画青年だけあって、勉強の方はいまいちであった。当時は、第二文学部という選択もあったが、夜間部なので二の足を踏んだ。日本大学芸術学部というひらめきが思い浮かんだ。俺も受験した経験がある。偏差値も、そう高くない。将来、「脚本家」になるという明確な目標があるなら、俺のように早稲田入学で余分な時間を使うより、日大の芸術学部という選択肢を考えてはどうかとアドバイスした。その後、江戸川乱歩賞を受賞する大先生になるとは知らず、偉そうに。穴があったら、入れたい、いや、入りたい。
その後は、野沢に会うことはなかった。野沢は、俺のアドバイスを参考にしたかどうかわからんが、日大芸術学部に進学して、一流の「脚本家」になる。「破線のマリス」で江戸川乱歩賞を受賞した折、高校の後輩であったことを知る。もはや完全な中年顔であった野沢の顔写真を眺めていると、おゃと思った。どこぞで会ったような。あの夏の一瞬だけの出会いが蘇ってきた。アラアラ偉くなって、祝福の気持ちより、いいなぁ~という感情が先に立った。妬み、嫉み、の負の感情である。情けなや。
その後、野沢の活躍に注目していた。なかなかやるじゃん!と思っていた矢先に、44歳で首吊り自殺。「夢はいっぱいあるけど、失礼します」という不可解な遺書を残して。その時は、別段、ああ死んじまったか、くらいの感覚あった。
俺は、NHKスペシャルドラマ【坂の上の雲】の脚本が野沢であるこを全然知らなった。数年前、再放送の時、何気に見ていて、エンディングテーマの久石譲作曲「Stand Alone」が流れた刹那、エンドロールの「脚本 野沢 尚」の文字が目に飛び込んできた。その瞬間、目頭が熱くなった。涙がボロボロと流れたきた。自分でもよく理解できない感情である。久石の情緒あふれる「Stand Alone」のせいかもしれない。渡辺謙のナレーションのせいかもしれない。実際に自死した時よりも感情が揺り動いた。不思議なことである。あの夏の一瞬の思い出に浸り、つかの間、幸せな気分になった。
その後、NHKオンデマンド「坂の上の雲」を見るたび、エンドロールでめそめそして、幸せな心地になる。その後、それまでは、あまり好きではなかった「司馬遼太郎」が大好きになり、読みふけった。久石譲の音楽も大好きになった。
享年44歳。死屍、なんとも含蓄のあることか、さすが脚本家。わが愛しき、後輩よ。合掌。

蛇足。ちなみに野沢は、最年少で向田邦子賞を受賞している。もうすぐ向田邦子没後40周年を迎える。向田も大好きな脚本家だ。いずれ、書こうと思う。合掌。

*今回は、一応、ノンフィクションということで、よろしく哀愁

昭和の匂いのする人々、ハリモトとカワムラ。

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「女性でも殴り合い、好きな人がいるんだね。見ててどうするのかな。嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合ってね。こんな競技、好きな人がいるんだ。それにしても金だから、あっぱれあげてください」

「あっぱれ」をあげているんだけど、ダメかな。「嫁入り前」は、もう死語かな。「ボクシング」は、殴り合いじゃないんだ。俺も見ていて、なんだか、きっかったけどなぁ~。がんばれ聖奈!昭和は、遠くなりにけり。

サンデーモーニング」の視聴率、あがるだろうな。いやだ、いやだ。